2012年01月28日

生まれ変わるラ・ブルージェ

このところイギリスの航空博物館の話題ばかり書いているが、フランスにも素晴らしい航空博物館がある。以前、このブログでもレポートしたがパリ郊外のラ・ブルージェ航空宇宙博物館だ。ここは「翼よ、あれがパリの灯だ」で有名なリンドバーグがスピリット・オブ・セントルイスで大西洋を初横断して着陸した、あの空港だ。現在はオルリーとシャルル・ドゴール空港に空の玄関の役割を譲って、国際空港の機能はないが滑走路と広い設備を生かし2年ごとに国際パリ・エアショーが開催される。1937年建設の広大な旧空港ビルは20世紀初頭から現在に至るさまざまな飛行機の実機が展示されているが、さすがに老朽化がひどくなった。そこで現在大改造計画がスタートした。予定では1937年6月に開催されるパリ・航空ショーまでには新博物館がオープンするという。現在はCDG空港行きの地下鉄を利用して途中下車し、あとはバスかタクシーでラ・ブルージェに行くのだが、新計画では2018年までに地下鉄路線も延長されるとか。パリに立ち寄る楽しみがまた増えるぞ。(情報は雑誌Aeroplaneより 写真は館内展示の一部)
  

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2012年01月25日

インドネシアの戦力補強

プロ野球ストーブリーグでは来期の戦力補強に選手争奪戦が忙しい。インドネシア空軍も戦力増強におおわらわだ。
このたび新たにロシア製のスホーイSu-30MK2を6機購入するとサファット空軍幕僚長が発表した。インドネシア空軍はすでにSu-27と6機とSu-40を4機保有しているが、新たな契約で今年中に2機のSu-30が2機渡され、残りは2014年までに年2機のわりあいで納品され、すべて南スリランカ州のサルタン・サマディン基地に配属される。

インドネシア空軍は先にアメリカの州国防空軍が所有するロッキード・マーチンF-16の中古機24機払い下げ購入する商談を進めているし、オーストラリア空軍の中古C-130ハーキュリーズ輸送機4機の購入も交渉中だという情報もある。これらは中国の海上覇権増強に関係あるかどうか知らないが、かなり積極的な国防策である。舵取りはどこかの国みたいな素人的防衛大臣ではなさそうだな。(情報はflightglobal comより)  

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2012年01月21日

空飛ぶオールブラックス

一昨年ニュージーランドを訪れたとき、街や空港のおみやげ店をうめつくしているオールブラックス・グッズをみた。
あれはなかなかよいデザインだ。と思ったら、こんどはニュージーランド航空が飛行機をオールブラックス・デザインで塗ってしまった。1月12日、オークランド空港にボーイング・シアトル工場から新鋭ボーイング777型機が全身オールブラックス塗装で到着した。この機体は月末からさっそくオークランド・ブリスベーン間に就航するが、このあと今年の夏頃までにエアバスA320が2機、ビーチ1900Dが3機が追加され、オールブラックス塗装チームは6機になるという。(情報はflightglobal comより)  

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2012年01月18日

あだ名はモズ

RAF London(英空軍博物館)でフォッケ・ウルフF190に再会した。以前にパリ郊外ラ・ブルージェで見かけて以来だ。FW190は1941年夏に突如として英仏海峡に出現し、ようやく優勢を勝ち取ったイギリス戦闘機隊を、ふたたび圧倒した戦闘機だ。

BMWの空冷星形2,100馬力エンジン(後に液冷エンジンをのせて余圧装置をつけたものも登場)で高速、火力、機動性にバランスがとれた第二次大戦最良の戦闘機という評価もある。なにしろ普通の戦闘機としての働きだけでなく、急降下爆撃機スツーカに代わる地上攻撃機、艦船攻撃をする雷撃機、敵爆撃機を迎え撃つ高高度遠距離戦闘機、夜間戦闘機などあらゆるステージで活躍できた。サッカーならアタッカー兼デフェンダーで、やらせればゴールキーパーもつとめる万能選手みたいな飛行機か。
FW-190は機首に大きな星形エンジンをつめこんでふくらんだ格好から、Butcher Bird(モズ)というあだ名を頂戴した。総数2万機以上が生産されたが、現在飛行可能の機体はほとんど残ってないが、アメリカのルイジアナ州に1機、FW19A-8があるようだ。この胴体は1944年製の純正で、主翼と尾翼はフランスの鉄道スクラップ場からひろってきたものを利用して再生したという。ほかには2004年ドイツのババリアで実機に忠実なレプリカが再製造された。これは現在ニュージーランドのオマカ博物館に移管され本年1月に飛行滞空証明を取得した。ところでロンドンの展示機はFW190B-8/U-1で、傾斜したシャープな風防ガラスでなく、べろっと間延びしたタンデム型風防ガラスがついていた。それでなんとなく精悍さのない老いぼれたFW190、という印象である。(情報はAroplane誌より)  

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2012年01月13日

ジェリコのラッパ


ロンドンにある英国空軍博物館のバトル・オブ・ブリテン・ホールでユンカースYu-87スツーカを見た。あまりにも有名なドイツの急降下爆撃機だ。初飛行は戦前の1935年で、大戦の前哨戦となったスペイン内乱ではコンドル兵団に加わって実戦参加。あのゲルニカ爆撃ですっかり悪役のイメージが確立した。
初期型のスツーカはロールスロイスのエンジンをのせていたが、その後国産のユンカース・ユモに換装。爆撃では高度5千メートルから80度のダイブで目標に投弾し、地上3百メートルで機首を引き起こすという派手な戦法を得意とした。W型のガルウイングは急降下時の下方視界に優れる。さら に急降下の際に甲高いサイレンのような音が鳴り響いたのも特徴で、これは「ジェリコのラッパ」と呼ばれ相手から大いに恐れられた。(このラッパを吹くとジェリコの城壁が崩れたという旧約聖書の一節からきた)


急降下という過酷な使用法に耐える頑固で重い構造は、反面燃料タンクを小さくされ、防弾装甲が貧弱になり、鈍重で低速という結果も生じた。そのため開戦後は連合国の戦闘機に圧倒され次第に劣勢化した。肝心の急降下爆撃も思ったより効果がなかったようで、東部戦線では機関砲を積んで戦車攻撃をした。さて、展示してあった機体はダークグリーンに塗られていた。想像していたよりも大振りな機体で、頑固な脚で頭をあげた姿は鷲のように精悍な印象だった。  

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2012年01月07日

「カサブランカ」でチョイ役 出演

さて、久しぶりに英国空軍博物館ロンドンの展示レポにもどる。ここに展示してあるロッキード・ハドソンは言うまでもなくアメリカ製の飛行機である。ハドソンは戦前エレクトラと称して民間旅客機として大いに売れた機体だった。そう、映画カサブランカのラストシーンにも登場する。ナチスドイツの官憲の眼をくぐり、カサブランカ空港から脱出するレジスタンスのリーダー・ラズロとその妻イルザ(イングリット・バーグマン)を、脱出のお膳立てをしたリック(ハンフリー・ボガード)が見送る飛行場で待機していた双発機がロッキード・エレクトラだった。モロッコからアメリカまでひとっ飛びは無理だけどイギリスまでなら飛んでいける。

ハドソンはエレクトラのイギリス空軍向けバージョンだ。開戦時の飛行機不足をおぎなうため沿岸哨戒偵察用にアメリカから購入。合計2,000機のうち代金を支払ったものは800機で、残り1,200機は武器供与協定でもらった。ハドソンは後部に機銃1丁のほか小型爆弾も積めたが、のちに哨戒任務をはなれライサンダーのように特殊工作員を大陸へ密かに運んだり連れ出したり、あるいは輸送機としての任務をこなすこともあった。乗客10名(スーパー・エレクトラで12名) 小股の切れあがったいい格好の双発機である。イラストはちょいと遊んでカサブランカのエレクトラにしてみた。ハドソンでないことをお断りしておく。  

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2012年01月04日

飛べ!ボックスカー


1960年代に公開されたロバート・アルドリッチ監督の映画「飛べ!フェニックス」をおぼえてますか?サハラ砂漠に不時着した双発輸送機で生き残った男たちが、大破した双発機の使える部分だけを組み立てて別の小型機を造り救援を求めて飛び立とう、という話。(安政元年に下田で遭難したディアナ号の代わりに、戸田で小型帆船を造ったロシア人の話と似てるな。あ、脱線した)その双発輸送機フェアチャイルドC-82パケットそっくりの飛行機をソウルの戦争記念館でみかけた。

実はこれ、C-82ではなく後輩のC-119フライング・ボックスカー(空飛ぶ貨車)らしい。C-82は第二次大戦中に設計開発された軍用輸送機だ。C-47が2,30人の兵士しか運べないのにくらべ、C-82は62名の兵士を運べたし貨物室もぐんと広かった。ところが軍から200機も注文を受けたところで終戦になり製造はご破算になった。フェアチャイルド社はめげずにC-82の改良型を開発し、より強力なエンジンに替え、操縦室を貨物室の上から機首に移して貨物室スペースを広げたC-119を完成させた。
C-119は1,200機も生産され朝鮮戦争やベトナム戦争で大いに働いた。なかにはジェットエンジンを1基屋根にのせて臨時の出力向上をはかるタイプもあった。ソウルに展示されていたのは各種の1機だろう。永年の野ざらしで保存状態は悪い。それにC-119は3,400馬力エンジンにあわせプロペラが4翔になったはずなのに、この機体はC-82と同じ3翔だった。蛇足:あとで思い出したが、この飛行機、ニコラス・ケイジ、ジョン・キューザック出演の映画「コン・エアー」にも登場したね。  

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2011年12月31日

コンペイ糖あたま


ソウルの戦争記念博物館にめずらしい飛行機があった。ソ連製のヤコブレフUT-2初等練習機だ。第二次大戦以前の1930年代にアレクセイ・ルイコフ技師が設計したものというから、そりゃ古い。


空冷5気筒星形エンジンで出力はただか140馬力程度。シリンダーヘッドに独立したカバーがつき、コンペイ糖のような機首がチャーム・ポイントだ。当時としては複雑な構造で量産に不向きだったため、あれこれ改良に手がつけられた。そのうちルイコフ技師が粛正で処刑され、あとの仕事はヤコブレフ設計事務所が担当、1937年に正式採用されて戦後まで製造が続き1950年代まで使われたという。この機体はおそらk北朝鮮で使用されたものだろう。  

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2011年12月28日

三丁目のコマンド

ソウルの戦争記念館のつづきを書く。戦中少年のおもちゃ箱のような野外展示場で夕陽をあびるC-46カーチス・コマンドに会った。懐かしかったな……。

C-46コマンドは1940年に登場したアメリカの双発輸送機。ウリは2000馬力級エンジンで当時のライバル機ダグラスDC3(軍用はC-47)よりも2倍近い出力。ややダルマ型断面をもつメタボ体型の同機は乗客数もC-47の23名に対して最大62名も乗せることができる。さらに広い荷物室と大きな横開きドアがあり、機内はフラットな通し貨物室にも早変わりするし、C-47より高高度を飛べた。いいとこづくめのC-46だが、終戦後の民間航空市場ではダグラス社に勝てなかった。カーチス社はこれまで高速水上機や戦闘機の領域が得意で、C-46より10数年前にはじめて20人乗り複葉水上旅客機コンドルを造った実績しかない。対するダグラスはDC-1からはじめてDC-3までこつこつと旅客機を造り航空会社に売り込んできた。そのへんの商売上手さが功を奏したのか。戦後カーチス社はがたがたと凋落してしまった。
さてC-46コマンドは全部で3000機以上製造された。(ダグラスC-47はその3倍余の1万機以上も造られた)ソウルにあったのは韓国空軍が使っていたその1機。(そういえば浜松の航空自衛隊の展示場にも確かC-46が1機あったな)
実はボクは「少年時代」にアメリカでこのC-46コマンドに乗せてもらったことがある。それもニューメキシコのアルバカーキーからオクラホマのタルサまで。機内は静鉄電車みたいな対面式折り畳みベンチシートだけの殺風景なインテリアだったが、ボクは無我夢中であちらこちら見とれていたっけ。というわけでソウルで西日をあびるカーチス・コマンドは、まさにボクの「三丁目の夕日」の世界だった。  

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2011年12月24日

ミグ御三家


石焼きビビンバやプルコギ、ピョンヤンネンミョンなど韓流グルメを目当てに行ったのに、飛行機博物館に足がむいてしまうボクって、やっぱり変かな。駆け足旅行の閑暇をぬって訪れたのはソウルの戦争記念館。えらく立派な外観は元何か由緒ある建物だろう。お向いに韓国国防省がある。屋内には3階の展示ホールがあり、屋外には各種飛行機と戦車、火砲、小型哨戒艇まで、文字通りマニアのおもちゃ箱みたいにゴタ置きしてあった。もったいないな。

最初に紹介するのはミグ15。1950年6月に朝鮮戦争がはじまったときの主役だった。(上の写真:これは複座練習機タイプ)機首に37mm機関砲(携行弾数40発)1門と両翼に20mm機関砲(携行弾数各80発)2門という重武装で、当時のライバルアメリカ空軍のロッキードF-80(12.7mm機銃6門)をしのぐ火力と150km/hの差がある速力で圧倒した。その後、改良型のミグ17が登場。これは当時世界中の社会主義国で使用され合計11,000機も製造された。ミグ17をさらに発展させた集大成がミグ19(下の写真)でミグ戦闘機の勇名を確立した。ベトナム戦争では中国空軍のミグ19がアメリカ空軍のファントムを大いに悩ませた。この日、戦争記念博物館を懐かしげに訪れるアメリカ人男性客を多くみかけた。

。  

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2011年12月21日

ぬっ、裏切り者め!

ああ、なんということでしょう!書店で見かけてつい買っちゃった「航空100年史」のディアゴスティーニから手紙が届いた。「都合により8号をもちまして休刊」という。icon08100回シリーズはわずか8回で終了だ。icon08注文した予備のバインダーがちっとも届かないので妙だな、と思っていたんだ。せっかくよい資料ファイルが出来ると楽しみにしていたのに、裏切られた感じでくやしいなあ。icon08ボクのブログで「航空100年史」の記事をみて購読をした人にも恨まれそうだなあ。このテの本って、やっぱり売れないんだな。  

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2011年12月17日

さても困ったセンチネル

先週、イランでアメリカの無人偵察機RQ-170センチネルがおっこちて捕獲された。この飛行機、ステルス性があって高空を飛んでいてもなかなか見つからないアメリカ自慢のハイテク機。先にビン・ラディン奇襲作戦でも上空で追跡監視を果たした機体である。イランが公開した映像によると降着車輪がみえないが間違いなく本物だ。それが無傷で捕獲されたことは、配下の忍者が敵に捕えられたと同じで雇い主のCIAにとって大ショックだ。

なぜ無傷で捕獲されたのか、それは今のところ謎だ。(アメリカ側は故障で遠隔操縦が不能になったと発表している)Flightglobalが報じるところによれば、この種の無人偵察機はアメリカ本土ネバダ州のトノパーにある国有地内の試験場内の施設で遠隔操縦されているようだ。(ボクは以前ネバダを縦断ドライブした折、偶然トノパーの町のモーテルに一泊したことがある。古い映画館跡が食堂になっていた淋しい田舎町の雰囲気をおぼえているが、実はその町はずれの秘密基地から世界中の空を見張るプレデターやリーパーなどの無人機が432飛行隊の手で操作されているのだ!)問題は今度のセンチネル墜落事件は無人偵察機が持つ知られたくない技術と情報がイランを介して中国やロシアに渡ることを意味している。アメリカはいま大慌てのはずだ。(情報はfightglobal comから)  

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2011年12月15日

やっぱり当て馬だったのか

11月にこのブログで書いた「次期FX選定ドッグファイト」の結論が発表された。報道によるとやっぱりF-35が本命になった。隣の大国は「殲撃20型」を開発しているし、ロシアもスホーイT-50を開発中でどちらもステルス性を備えている。こうなるとステルス性のあるF-35が欲しくなる軍人の思考は当然だ。現役世代のユーロファイター・タイフーンは最初から当て馬だったか、と気の毒に思うボクです。

しかしF-35は5機の試作機が未だテスト中で販売価格も決定せず納期も未定である。先月頃はF-35の海兵隊型が軽空母ワスプに着艦試験をしていた際に、垂直噴射エンジンの一部に小さなクラックを見つけテストを中止した。もしも納期が遅れた場合はF/A-18スーパーホーネットをピンチヒッターにする選択肢もあるのかな。どちらにしてもミスター・シビリアン・コントロール防衛相の判断責任は軽くない。  

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2011年12月14日

ソウルへ ひとっ飛び


先週富士山静岡空港からソウルまで行ってきた。静岡空港は初めてだった。空港まで車で行って旅行中無料駐車できるのは実に便利で気楽。いまのところ旅行者が少ないから入出国手続も税関手続も簡単に済み、なんだか長距離バスにでも乗る感じ。ソウルまで1時間半ほどのフライトは札幌へでも飛ぶ気軽さだ。

ボクが乗ったのは大韓航空のボーイング737-800でまだ新しい機体(帰路は737-900で少しくたびれた機材)だった。それでもFDAのエンブラエル機の2倍近い座席数がある。この日の搭乗率は目測85%位だろうか。キャビン・アテンダントの大半はなかなか容姿端麗でよろしい。仁川国際空港は成田を優に越えるスケール。ハブ空港としてもシンガポールのチャンギやアラブ首長国連邦のドバイに匹敵するかな。ただ新設空港のわりにソウル中心までの道路が(成田ほどでもないけど)少し遠い。

実はボクは静岡空港ばかりかソウルも初めてでした。飛行機の話から離れるけど、いま韓国も韓国人も活気に満ちている印象。新設の国立中央博物館など、ぜひ再訪したいほど充実ぶり。4日間の滞在では観光は消化不良だった。それにしても日本人観光客それもおばさんの多いこと。店ではおばさん語を駆使すれば韓国語は不要、立派な日本語が返ってくる。日本と同様にチップ不要の習慣もうれしい。観光客に対して地下鉄や博物館美術館の職員が礼儀正しいのも印象的だった。次回はB級ホテルにして再訪問したいね。   

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2011年12月10日

ボーファイターの辛抱


ブリストル・ボーファイターは前回紹介したボーフォート雷撃機の戦闘機版だ。イギリス空軍はブリストル社にボーフォートの基本設計を生かし、エンジンを強化した複座長距離戦闘機に改造させたところ、これがビンゴ!になった。ボーファイターは20mm機関砲4門を機首に、7,7mm機銃6丁を主翼に備えたうえに巡航時速は400kmだった。下の写真はRAF Londonの展示機。機首下に横たえてあるのが20mm機関砲の全身。このデカいものを4門備えていた。




左の写真は展示機のブリストル・ハーキュリーズ空冷エンジンの排気管。大根おろしのようなトゲトゲは、夜間の排気炎を見えにくくするための工夫か。(ピンがあまくでご免あそべ)






ボーファイターはボーフォートの機首をちょん切り、指ぬきのような短鼻に整形した。また開発されて間もないレーダーアンテナをつけて夜間戦闘機にもなった。1940年春から戦線に投入してみると使い勝手がよく、夜間戦闘機以外にも昼間の長距離偵察機に、また小型爆弾や小型魚雷を抱かせて哨戒雷撃機としても使えた。それらの用途にあわせ様々なバリエーションが造られた。胴体背部に機銃座がプラスされたのもこの時期だ。大戦後半には翼下にロケット・ランチャー8基を備えたものも出現。あれこれ辛抱して改良を重ね1945年までに合計5,800機が製造した後、出来星の後輩モスキートにバトンタッチした。

ボーファイターについてボクの好きな飛行機博士佐貫亦男先生はこう書いている。「形態としてボーファイターはじじむさくて構造も古く、とても感心などできるしろものではない。(中略)感心することは、よくも飽きもせずに設計者が努力したことだ(後略)」佐貫先生は知る人ぞ知る隠れドイツびいき。ボーファイターなどボロクソだぜ。上の写真はボーファイターの後ろ姿。操縦安定性の悪さに悩まされた末、設計陣は水平尾翼に上半角をつけた、と佐貫先生が書いている。  

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2011年12月05日

地味で平凡なボーフォート

マリリン・モンロー(M.M)やブリジット・バルドー(B.B)のように、彼の国では語呂合わせがお好きである。英国で20世紀初めから飛行機メーカーをやってきたブリストル社もそうだった。自社製品にはブリストルのBにあやかってブルドックだとか、ブルパップなどという名前をつけた。そのブリストル社がドイツとの開戦を前に企画した軽爆撃機にはボーフォートという名前がつけられた。

1938年秋に初飛行したボーフォートは、翌1939年に空軍に配属され1943年まで各地で戦った。双発4名乗りのボーフォートは当初魚雷で敵艦を攻撃する任務で英国海峡から北海、バルト海方面で活躍した。バトル・オブ・ブリテンを戦い抜いたあと、次第に攻勢に転じた英空軍はボーフォートを地中海戦線にもさしむけた。ドイツ、イタリアが降伏後はインド方面から東南アジア、オセアニア方面にも派遣して衰えた日本軍を攻撃した。



はっきり言うとボーフォートはイギリスらしい無骨で古めかしく平凡な飛行機だ。操縦士、航法士、無線係兼機銃手、後部機銃手の4人がかりで魚雷一本を抱いて飛んだ。1,000馬力級の非力なトーラスエンジンだから巡航速度も320km/hそこそこだった。前任者が旧式なソードフィッシュ複葉雷撃機だったから、それにくらべたら乗員も安心できたのだろうか。それでも各型あわせて1,900機が生産された。うち700機はオーストラリア製である。RAF Londonには機体番号DD931が保存展示されているのだが、今回ボクのカメラにおさまっていなかった。  

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2011年12月03日

空飛ぶハリネズミ

RAF(英国王立空軍博物館)Londonに展示中の大型飛行艇の真打ちはショート・サンダーランドだ。この飛行機については2011年1月5日のブログでダックスフォード博物館に展示されている機体についてレポートしているので、そちらも見比べてください。


RAF Londonでは「バトル・オブ・ブリテン館」に展示してあることでもわかるように、サンダーランドは第二次大戦の対独作戦で活躍した飛行機だ。洋上哨戒が主目的のくせに合計10基の機関銃をもち、ドイツ空軍の戦闘機とわたり合う事を前提にしていた。実際にメッサーシュミット戦闘機と互角に空戦をし「空飛ぶハリネズミ」のニックネームをもらったというエピソードもある。(写真の作業員は人形です。機首銃座の形状はダックスフォードの展示機と相違があって興味深い)
よく比較されるのは日本海軍の二式大艇だ。こちらもほぼ同サイズ、同用途の4発機だったが、サンダーランドの最高速度が343km/hに対し二式大艇は453km/hの高速で、航続距離はサンダーランドよりも65%増しの7,200kmだった。しかし戦後絶滅した二式大艇にくらべ、サンダーランドは20名乗り座席に改装サンドリンガムの名で民間航空路で生き延びた。(左の写真は爆弾。機内からレールに導かれて翼下の投下位置まで吊り出される構造か)
  

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2011年11月30日

飛行艇の仕事場をひろげた

大型飛行艇で空の旅をする時代があった。飛行艇は海辺の街から発着する。3千メートル程度の高度で速度も遅いがゆったりとした機内ではレストランまがいの食事もできた。日暮れには異国の港に着水して客は陸上のホテルに泊り、翌朝また次の港めざして空を飛び、幾日もかけて大洋を横断した。そのように滞空時間の長い飛行艇は戦時の哨戒機にもってこいだった。前回紹介したスーパーマリン・サザンプトンにつづく哨戒艇として1935年に就役するのがスーパーマリン・ストランレーアだ。

もともとシンガポールの名前で民間輸送機の実績がある機体だったが、2基のブリストル・ペガサスエンジンが力不足だったので出力を強化し、2枚の木製プロペラは3枚の金属製に取り替えた。ストランレーアはスコットランドのインバーゴードン基地から、もっぱら北海上空を飛行してドイツのUボート哨戒作戦に従事した。だが先輩のサザンプトンよりも短命で6年後の1941年代にはアメリカ製のカタリナ飛行艇に交代。その後ストランレーアの製造権はカナダ・ビッカース社へ売り渡されて彼の地で40機ほど製造された。

同じ1936年頃、日本もようやく飛行艇の国産化が結実し、川西が九七式大型飛行艇の初飛行を行っている。これはなかなか優秀で合計179機生産され、大日本航空が23機購入し旅客輸送に使用し、横浜ーサイパン間10時間の空路を飛んでいた。この南方空路は1942年に公開された東宝映画「南海の花束」の舞台になって話題をあつめた。さて、RAF Londonにはこのストランレーアが1機保存してあった。同じ複葉飛行艇だがサザンプトンよりも近代的で、もはや木製デッキなど面影もない。(イカロス出版刊「飛行艇の時代」を参考にしました)  

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2011年11月26日

船の気分で空を飛ぶ

ひさしぶりにイギリスの航空博物館レポートに戻ります。
フライング・フィッシュは飛び魚で、フライング・ボートは飛行艇のことだ。飛行機が安心して大陸間を飛べるようになるまでの一時期、世界は大型飛行艇に夢をたくす時代があった。それは大戦間と呼ばれた1920年代で、当時、大型飛行艇の技術ではドイツのドルニエやイタリアのサボイア・マルケッティイらが一歩リードしていたが、イギリスは懸命にその後を追う状況で、日本はもっぱら完成品を輸入する段階だった。

島国イギリスにとってシーレーンの確保は最優先策だ。空軍は長時間の哨戒飛行ができる大型飛行艇がのどから手がでるほど欲しかった。そのイギリスが1925年になってようやく手にした哨戒飛行艇がスーパーマリン・サザンプトンだった。同機は1927年にイギリスから地中海、インドを経由してシンガポールまで延べ43,000kmの長距離飛行をしている。速力は低いが航続距離は1,500kmと、当時としてはまずまずのもの。空軍では68機購入して哨戒偵察機として11年間も使い続けた。



サザンプトンは1927年に日本海軍も購入したあと、1936年(昭和11年)に日本航空輸送に払い下げた。同社ではこれを19席の旅客型に改装し「きりん」と命名、大阪・別府間に就航させた。「きりん」は昭和14年まで使用され、のべ15,000人の旅客を運んでという。きりんという命名はこの事業を支援したキリンビールの社名に因んだものだという

RAF London(英国王立空軍博物館)にはスーパーマリン・サザンプトンが展示してあった。写真は胴体後部の銃座。ルイス式機関銃が装着してあった。機体の上部が船の甲板みたいに板張りになっているのが珍しい。これを見るとフライング・ボートと呼ぶ気持ちがわかる気がするね。ただし後期型では木製デッキはなくなった。(資料出典はイカロス出版刊「飛行艇の時代」およびaviastar.org,rafmuseum.orgより)  

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2011年11月23日

マケイン刑事みたいには……

映画「ダイハード2」でブルース・ウイルス扮する不死身のマケイン刑事が、ダレス空港でワル者に追いつめられ、C130輸送機の操縦室から射出座席で空中に脱出するシーンをおぼえてますか?あれっていいアイデアだな、なんて真似してはいけませんよ。

11月8日、イギリスはリンカーンシャーのスカンプトン空軍基地で地上にいたホークT1ジェット練習機の射出座席が突然作動し、座席にいたショーン・カニンガム中尉が空中に飛び出して重傷をおい、搬送先の病院で死亡する事故があった。同機は有名な曲技飛行チーム・レッドアロウズのメンバーだった。空軍当局はただちに原因調査班を組織すると同時に、事故を起こしたマーチン・ベーカーMk10B型座席を使用しているホークT-1/1A練習機のほか、パナビア・トーネードGR4攻撃機、さらにショート・ツカノT-1初級練習機の飛行を禁じ原因解明まで地上待機を命じた。レッドアロウズは今年の夏8月にもボーンマス航空ショーで墜落事故を起こしイギング中尉が死亡している。現実は映画とちがい甘くないんですね。(情報はflightglobal comより)  

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2011年11月19日

どえりゃあ景気だがや!

ギリシャのあとはイタリア、そのあとはスペイン、そしてアイルランドなどが噂にのぼるEU不況ドミノ。暗いニュースが続くなかに中東のアラブ首長国連邦のエミレーツ航空が景気のいい話をうちあげた。

エミレーツ航空といえば、あのエアバスA380を百機以上もオトナ買いしたお大尽。こんどはボーイング777-300を50機も発注した。50機の価格は合計18兆ドル!今回分だけで飛行機売買契約の史上最高額になる。この会社、すでに同じ飛行機を41機注文しており、50機は追加である。今回の購入について同社のCEOビン・サイ−ド・アル・マクトゥウム氏は、777による長距離・直行便の充実は我が社の国際路線拡大戦略の一環であり、同機の快適性は顧客にも大歓迎してもらえるものだとのべている。



時を同じくしてクエートのリース企業ALAFCO社もエアバスA320neoを20機注文したうえ新たに30機購入契約をした。こちらも先に26機注文し25機を受取り済みだ。ALAFCOはオマーン航空とサウジアラビア航空用に過日エアバスA350-900を18機契約したが、その後契約をボーイング787に変更したばかり。「エアバスか、それともボーイングのどちらが利益に結びつくか、これで判るというものだ」とは同社のアフメド・アル・ザビン氏のせりふ。



景気のいい話におどろいていたら、今日またどえりゃあニュースに接した。インドネシアのLCCライオン・エアがボーイング737シリーズをなんと合計380機購入契約をむすぶ、と発表した。11月18日、オバマ大統領のバリ訪問にタイミングを合わせたのだろうが、まとまればボーイングにとってこれぞ史上最高額の商談だ。737は単通路の小型機だがカタログ価格で1機平均9千万ドルはするんだよ。(情報はFlightglobalより)  

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2011年11月16日

700座席A380登場?


アエロフロートに次ぐロシア第二の航空会社トランスアエロがエアバスA380を4機購入する仮契約を結んだ、という情報。同社はこれまでボーイング747や777の中古機だけを買い集めて使ってる会社。かつて日本航空で使っていた747ジャンボも現在同社が使用中だ。それがこのほど新品を手に入れることになった!Flightglobalによれば同社が新しく商談を進めているA380はエコノミー、ビジネス、ファーストの3クラス合計で700席をもつ座席仕様らしい。実現すればこれまでのなかで二番目に過密な座席配列になる。空飛ぶ帰省列車並のつめこみ状態か?(情報はFlightglobal comより)  

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2011年11月12日

プロペラ戦闘機の最高傑作


テンペストと聞けば、キョーヨーのあるひとはシェークスピアの戯作を想いだし、キョーヨーの問題に関係なくミーハー度の高いひとは仲間由紀恵の舞台を想いだすだろうが、ここではホーカー・テンペストの話にしぼりますよ。

前回に紹介した前大戦のイギリス空軍戦闘機の嵐三兄弟の次男、ホーカー・タイフーンはそこそこの働きをしたけど、兄貴のホーカー・ハリケーンほどの名声が得られなかった。しかし軍首脳はタイフーンの並外れた高速性能をあきらめきれず改善を指示、その結果生まれたのがタイフーンⅡ型だった。(写真は2枚ともRAFLondonで撮ったもの)






外観では翼厚をけずり形態を再設計し、操縦席を防滴型風防でおおい垂直尾翼にヒレをつけたもの。こうなると改良型というより別な機体だ、ということで名称もテンペストと改められた。ドイツのFw190も参考にしたらしく外形が似ているところもある。

テンペストも当初はエンジン不調に悩まされ、ネイピアのセーバーをはじめ、ロールスロイス・グリフォン、ブリストル・セントーラスなど高馬力エンジンを取っ替え引っ替えのせてテストした。ここではそのたびごとの変遷を追う余裕はない。嵐三兄弟の名を高めたのは1943年から登場の星形18気筒液冷エンジンを載せ4枚プロペラをつけたテンペストⅡ型だった。これは時速700km/hを越える高速でドイツ空軍をなやませた。ロンドン空襲に飛来したミサイルV1を撃墜した話やドイツのジェット戦闘機Me262と空戦をしたエピソードが残っている。大戦後は印度空軍とパキスタン空軍に売却されたが、一部は民間の手にわたりリノ・エアレースでは無制限クラスに出場して活躍した。


イラストはホーカー社のサー・シドニー・カムが手塩にかけた嵐の三兄弟。(絵があまり正確でなくてスミマセン)先鞭をつけたハリケーンは複葉機時代を最初に脱した単葉戦闘機でバトル・オブ・ブリテンの緒戦期に苦戦しながら活躍。次いで登場したタイフーンはより高速で重装備になり爆撃まで手をひろげ「列車バスター」などと恐れられた。最後に登場した4枚ペラのテンペストは、ジェット戦闘機と対戦したりミサイルと肩をならべて飛べるほど高速性能を高めた。どれもイギリス人が忘れがたい栄光をいまなお背負っている。  

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2011年11月09日

嵐 三兄弟

RAFLondon(英国王立空軍博物館)のHistoric Heritage館で最初に紹介するのはホーカー・タイフーン戦闘機。これはバトル・オブ・ブリテンの功労者ホーカー・ハリケーン戦闘機の後継としてシドニー・カム技師が設計した、いわばハリケーンのバージョンアップ版。ハリケーンが大西洋の暴風ならタイフーンは太平洋の暴風だ。このあと登場するタイフーンの改良型ホーカー・テンペストも吹き荒れる暴風雨、三つあわせてホーカーの「嵐 三兄弟」とでも呼ぼうか。

ハリケーンの成功で気をよくしたホーカー社が次に手がけたタイフーンは実は難産だった。まずハリケーンをしのぐ強力なエンジンを選ぼうとした結果、ロールスロイスのヴァルチャーとネイピアのセイバーが選ばれた。どちらもアメリカから供与されるハイオク・ガス使用を前提にした超2千馬力級エンジンだ。結局どちらのエンジンも捨て切れずR型とN型の2案併用で開発が進んだ。

1939年以降タイフーンのR型とN型はあいついで初飛行した。しかし双方ともトラブル続きで遅れ、1941年になってN型が泥沼から抜け出し、重装備の試験飛行で時速684km/hの快記録をだした。逆にロールスロイスはヴァルチャーの開発中止を宣言、N型の独走が決まった。タイフーンの武装は7.7mm機銃12丁だったが、すぐに20mm機関砲4丁に変更された。外観上の特徴は機首の下にあいた大きな空気取り入れ口だった。



この時期になるとハリケーンやスピットファイアはドイツ空軍の新鋭フォッケウルフFW190に押され気味になっていたが、タイフーンの登場で形勢は逆転する。だがタイフーンにも問題が生じていた。機体の強度不足で空中分解が発生したり、エンジンの排気ガスが操縦室に廻りこみパイロットが一酸化炭素中毒を起こす恐れも発生。あれこれと絆創膏をはるような対策で乗り切りながら、タイフーンはフランス、ドイツ上空で爆弾による対地攻撃に威力を発揮した。戦闘機でありながら1トン近い爆弾を積めるタイフーンを、味方はBombphoon(ボムフーン)と呼び、後にはロケット弾攻撃もこなす同機をRocketphoon(ロケットフーン)と親しみをこめて呼んだ。合計3,300機生産されたタイフーンだが、いま完全な姿で残っているのはこのRAF Londonの1機だけである。テンペストについては次回にとりあげよう。  

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2011年11月05日

胴体着陸は15年の老齢機

11月1日ポーランドのワルシャワ空港でポーランド航空のボーイング767型機が白昼ド派手な胴体着陸をやってのけた。

問題の飛行機はニューワーク空港から飛来したポーランド航空LO016便で、220名の乗客と11名の乗員が乗っていた。機体は油圧装置の故障で車輪が出ず、上空で燃料を放棄したあと胴体着陸を決行したもの。その様子は画像で世界中に公開された。幸い怪我人は皆無。実に見事な着陸ぶりだった。この機体は15年前に製作されたもので以来ポーランド航空がリースを受けていたものだが、すでに7,354回の飛行で、のべ59,327時間の飛行をこなしていたご老体。故障もでるわなあ。(情報はFlightglobal comより)  

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2011年11月04日

恒例ライアン・カレンダー

毎年大道芸ワールドカップが開かれる頃になると、海外ではクリスマスと来年のカレンダーの話題が登場する。日本ではなじみが薄いがアイルランドの格安航空会社ライアンエアは、今年も自社客室アテンダントを起用したチャリティ水着カレンダーの発売した。

ライアンエアの現役スチュワデス13名が水着姿を競っているこのカレンダーは1部10ユーロ(約1,000円)で販売され、その収益は社会奉仕団体DEBRAを介して感染性皮膚病で悩むこどもたちの為に病気の治療と研究用に寄付されるという。チャリティー運動を支援しつつ、ついでに美人スチュワデスの水着カレンダーも欲しいむきはライアンエアの機内で買うのが手っ取り早いが、または同社のウエブを利用したり、アイルランドとスペインにあるDEBRA協賛店で買う方法もある。徹底した格安料金を維持する反面、機内食、毛布の有料化から機内トイレの有料化まで画策するライアンエアだが、こんなカレンダーなんて、日本じゃなかなかマネできるこっちゃないね。(情報はFlightglobal)  

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2011年11月02日

タンクキラー飛んだ!

前の世界大戦で世界でいちばん生産された軍用機はアメリカの、じゃなくてロシアのIL2シュツルモビック攻撃戦闘機だったとは知らなかった。総生産数は各型あわせて36,000機を越えるのだが、2011年現在、飛行が可能な生き残りは1機もない。(1万機余生産されて飛行可能な機体が数機ある零式艦上戦闘機と対照的だ)その伝説的なIL2シュツルモビックが蘇ったと英国の航空雑誌Aeroplane最新号が伝えている。

ロシア語で英語のアタッカーを意味するシュツルモビックは、名称通り対地攻撃それもドイツのタンク軍団を攻撃する目的で設計された飛行機だ。主要な武器は爆弾とロケット弾、それに23mm機関砲と機関銃。攻撃時は低空飛行をするため敵の対空砲火もあびる。その被害を最低限におさえるため、IL2は通常の戦闘機よりも強固な防弾装甲をほどこした。装甲は主に機首のエンジンから操縦席までを、厚さ4~6mm(特に操縦士の背後は12mm板の)ニッケルモリブデン合金製高張力鋼をリベット継ぎして覆っていた。まるで伊勢エビのようにだ。そのため機体の重量は日本の九九艦爆あたりと比べ2倍近く重かった。シュツルモビックの狙いは的中し、ドイツ戦車軍団の天敵となりタンクキラーと呼ばれ恐れられた。



Aeroplane誌によれば蘇ったIL2の試験飛行は9月27日シベリアのノボシビルスクで実施された。この機体は4年間費やして修復作業されたもの。エンジンはオリジナルのミクリンAM38の替わりアメリカ製のアリソンV1710が載せられた。試験飛行はウラジミル・バルスク飛行士が操縦して22分間にわたった。このあと細部の調整を終えたら年内にアメリカ・ワシントン州エヴァレットにあるFlying Heritage Collectionに送られて保管される予定とのこと。そのうち航空ショーでお目にかかれるかもね。(情報はAeroplane誌、分林堂刊 世界の傑作機No.129より)  

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2011年10月29日

次の展示ホールへ

きれぎれながらRAF 博物館Londonの探訪レポートを続ける。ボマー・ホールの展示をすべて紹介したわけではないが、キリがないので次の展示ホールに進もう。隣はHistric Hangersだ。ここには歴代英国空軍に貢献した(ボマー・ホールと、ここの区分けがよくわからないのだけど)飛行機がごちゃごちゃに並んでいる。



建物の入口に近い部分は大きなガラスを使った近代的なデザインだが、奥の展示空間はここで最も古い格納庫を転用したものらしい。
入口近くはショップで子供向けの玩具から大人向けの模型キット、航空関係書籍、ポスター、カレンダー、DVDなどを売っている。ちょっと古くさい感じのカフェもあった。



このヒストリック・ハンガーはホーカー・タイフーンを設計したサー・シドニー・カム氏の功績を顕彰した、いわばシドニー・カム・ホールだ。広い展示空間の中央には記念すべきホーカー・タイフーン1B型が周囲の仲間に囲まれて鎮座していた。写真の手前に見える木製のマンホールみたいなものは哨戒飛行艇サザンプトンの機首で、これについてはまた後でふれるとして、最初はタイフーンについて次回からくわしく紹介しよう。  

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2011年10月26日

つむじ風の必殺わざ

パナビアのトーネード(大つむじ風の意味)は前回紹介したバッカニアと同じコンセプトの高速低空攻撃機だ。冷戦時代のNATO軍は東ヨーロッパに展開されるワルシャワ条約軍の強大な戦車群といかに対処するかという課題をつきつけられていた。そこで登場したのが低空高速攻撃機の思想だった。1968年イギリス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、カナダの6カ国は低空高速攻撃機の共同開発に合意する。しかしその後、経済情勢の変動でベルギーとカナダが計画から降り、さらにオランダも脱退したので3カ国だけでおみこしを担ぐことになる。これに3カ国の異なる要望を設計に盛り込むのだから調整は大変だったろう。

調整の末にトーネードの可変翼、アフターバーナー付ターボファン・エンジン、複座という姿が固まって1号機が1974年に初飛行。離着陸時と高速飛行時で主翼の後退角度が変化するユニークな構造が注目された。高空よりストレスの多い低空を高速で飛ぶためのタフな機体構造、Mig31をしのぐ航続性能、可変翼が発揮するSTOL性能、精密な全天候航法・攻撃システムなどが売り物で、戦闘攻撃機型、偵察機型あわせ合計800機近いトーネードが生産された。



1991年、トーネードは湾岸戦争「沙漠の嵐」作戦に参加した。クエートに侵攻したイラク地上軍を攻撃する任務をうけ、得意の低空高速攻撃を行った。ところが短期間で7機のトーネードが撃墜されてイギリス空軍はショックを受ける。
必殺超低空攻めが破られたのだ。トーネードの低空攻撃はただちに中止された。さて、RAF博物館Londonのボマー・ホールに展示されているトーネードはGR1型で2001年のイラク戦争当時の塗装。(上のイラストの塗装とは異なる)機体の全長が短めでずんぐりしているは、低空進攻の際、地上からの迎撃被弾を少しでも少なくしたいための設計だそうだ。これでRAF博物館Londonのボマーホールをぬけ、次回からは隣のホールの展示機を紹介しよう。  

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2011年10月23日

つい買っちゃったけど

毎週発売されるシリーズ本。気がつくと全巻買ってしまう、という出版社の作戦とわかっているので、従来手を出さなかったが、今回はつい買ってしまった。おなじみディアゴスティニの「航空100年史」だ。

シリーズは1900年初めのライト兄弟以前から筆(?)を起こし、現代までの100冊を原則1週1冊のペースで刊行するという。しかも毎号6機種の飛行機大判カラー・イラストにデータをそえた図版がつき、これはこれで専用バインダーに分類整理できる、というのがウリ。実はこのテの本はすでに何冊もボクの書棚にあるけれど、飛行機好きの弱みをつかまれて、つい購入を始めてしまった。だが、つらつら考えれば全巻揃うと本誌100冊と分厚い図版バインダーが10箱だ。いまでも仮設住宅なみに定員いっぱいの書棚に収容できそうもない。困ったな。でもよくできた資料です。飛行機がお好きな方で保管場所に余裕のあるひとはいかが?(ひっひっひっ……(^_^)   

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