2021年12月31日

毎度おなじみSKYTRAX人気番付  

恒例のエアライン人気投票で一席おつきあいを:このところのコロナ騒ぎで飛行機旅行どころではないと見え、今回は2019年版の集計となった。 カッコ内は前年度順位

第一位 カタール航空( 2)
第二位 シンガポール航空(1)
第三位 全日空 (3)
第四位 キャセイ航空(6)
第五位 エミレーツ航空(4)
第六位 エヴァ航空 (5)
第七位 ハイナン航空 (8)
第八位 カンタス航空 (11)
第九位ルフトハンザ・ドイツ航空(7)
第十位 タイ航空 (10)



いうわけで今回もアジア、中東勢の健闘が目立つ。韓国系とアメリカ系のエアラインの姿はない。ついでだから20位までの順位も見てみよう。
第11位 日本航空 (13)
第12位 ガルーダ航空 (9)
第13位 スイス航空 (12)
第14位 中国南方航空 (14)
第15位 オーストリア航空 (30)
第16位 ニュージーランド航空(17)
第17位 バンコク航空 (21)
第18位 KLMオランダ航空(19)
第19位 英国航空 (31)
第20位 エア・アジア(28)
今年もいよいよ大詰め。この一年、このブログに再三アクセスをいただきありがとうございました。来年もブラリブラリと続けます。どうぞよろしく。あなたも佳いお年をお迎えください。(仙人)  


Posted by はじめ at 07:03Comments(0)

2021年12月24日

エアバスA380の時代は終るか  

日エミレーツ航空は最後のエアバスA380を1機受け取った。ひとつの時代がおわった。

い返せばA380がボーイング747ジャンボジェットの対抗馬としてデビューしたのは2007年だった。総二階で最大600座席が可能という巨人機だ。第一号機はシンガポール航空に納入され成田・シンガポール線にも就航し、ボクも無理やり予定をつくって乗ったっけ。広々とした空間の奇妙な安心感に、すっかりA380ファンになったボクは、その後もA380に乗りたいばかりにヨーロッパ行きにはわざわざシンガポールやドバイを経由する便を利用した時期がある。
かし社会の経済活動の仕組みが変化し、グループ旅行者が激減した。それでもエミレーツ航空は14年間で合計123機の巨人機を導入し、現在も52機を保有する世界最大のA380ユーザーだ。A380総製造数のほぼ半数を買ったのだ。しかしボクもジジイになり、乗り継ぎに長時間を費やす旅がしんどくなった。遠距離飛行なら、できれば787の新しい機体の直行便に乗りたいなぁ。意気地がなくなりました、はい。  


Posted by はじめ at 08:25Comments(0)

2021年12月03日

かわいい密航者   

メリカ国内線ラスベガス行き便のチェックイン受付をしていたサウスウエスト航空の地上職員が、乗客カップルのスーツケースが6ポンド重量超過していることに気づいた。職員は超過分を料金で支払うか手荷物にするように指示し、スーツケースを開けてびっくり!中からブーツに潜んでいた可愛いチワワを見つけた。

ップルもびっくりだ。チワワのイッキーはふだんから洗濯カゴやクローゼット、毛布などに隠れるのが大好きで、この日もブーツに潜り込んでいたのをご主人が気づかずに荷造りしてしまったもの。(決して無料で密航させようとしたんじゃない)と弁解しきりのカップルだった。(情報はUSA TODAYより)  


Posted by はじめ at 07:24Comments(0)

2021年11月26日

BN・アイランダーの事故  

11月13日、ミシガン湖の小島に1機の双発機が墜落した。

発機はブリテン・ノーマンBN 2A-6アイランダー。この日は午後1時半頃、ミシガン湖北東の町シャレーボーを離陸し、50kmほど離れたビーバー島を目指して飛んでいた。事故の原因は調査中だが機体は島内に墜落したもの。アイランダーには操縦士のほか不動産業のマイクと彼の11歳の娘、それに客のアダムとケイトのカップルが乗っていた。地元警察署の発表によれば乗員乗客4名と二匹の犬が死亡し、ヘリコプターで救急搬送された11歳の少女だけが重症ながらも生存している。カップルは島でワイン用のぶどう農園を計画していたということで事故の陰には人間ドラマがある。

BN 2アイランダーは小型双発機のデ・ハビランド・ドラゴンラピードの後継機として1965年にデビューした乗員乗客10人乗り。降着装置(車輪)は固定式でコストと整備の手間を省いている。もう古典機の仲間だが、エンジンを換装したりプロペラを改良したり改善を続け、これまでに1,100機以上を製造販売して健在だ。  


Posted by はじめ at 07:03Comments(0)

2021年11月19日

カンタス機 長距離飛行記録を更新  

10月6日、ブエノスアイレスを発ったカンタス航空のボーイング787-9'(グレートバリアリーフ号)が途中ノンストップでオーストラリア北部のダーウインに着陸し長距離飛行記録を更新した。

レートバリアリーフ号はアルゼンチンのブエノスアイレスを5日木曜日の12:44PM(現地時間)に離陸し、南極大陸を飛び越え水曜日の6:39PM(現地時間)にダーウインに到着した。飛行距離は15,020km,飛行時間は17時間25分で、これまでの記録(ロンドン・パース間14,498km、飛行時間16時間45分)を塗り替えた。今回は交代要員を含めて四名の操縦士が乗務したようだ。長時間のノンストップ・フライトは操縦士だけでなく乗客にも心身疲労が大きいといわれる。(情報はCNN comより)  


Posted by はじめ at 06:40Comments(0)

2021年11月12日

アントノフの厄日  

11月2日、南スーダンのマバン空港でオプチマム航空のアントノフAn-26輸送機が離陸直後に墜落し炎上した。積荷のドラム缶に入った28本のディーゼル油が燃え乗員5名が死亡する惨事になった。An-26は1969年初飛行の老朽機。それでも1,400機以上も作られた他に、中国でも多数ライセンス製造され世界中で飛んでいる。

の翌日、ロシアのイルクーツク空港で着陸態勢にあったグロド航空のアントノフAn-12が森林地帯に墜落して炎上した。この輸送機はチュコッカ自治区に食料と日用品を運んできた帰路、イルクーツクに途中着陸しようとしたもの。折から現地は-7℃で降雪と視界不良の悪天候。機長が着陸やり直しの連絡をしたあとの事故だった。機体は炎上し乗員9名は全員死亡した。An-12はAn-26よりさらに古く1957初飛行。尾部に機関銃座の名残をのこし、NATOからカブのコードネームをもらった軍用輸送機の生き残り。900機以上作られている。  


Posted by はじめ at 07:09Comments(0)

2021年11月05日

マスクの功罪  

外出の際にマスクをするのが習慣になってしまった。正直なところ呼吸器疾患のあるボクは長時間のマスク着用はたまらない。しかし、最近はマスク着用の恩恵にも気づき、マスクと仲良く折りあえるようになった。
鼻と口を覆うだけのマスクだが、あれでけっこう覆面効果がある。ほら、古い映画ファンならご存知の鞍馬天狗の気分ね。ちょっと見、誰だかわからない。あるいはナマハゲにでもなったような、ちょっと変身した気分だ。マスクの効用はまだある。以前は毎朝の日課だった髭剃りをサボるようになった。ひげを剃っても剃らなくてもマスクで見えない、という無精がこうじ髭剃りが二日か三日置きになってしまった。これはなかなかの開放感である。聞くところによるとイギリス人やフランス人は日常マスクを着用することに抵抗があるそうだ。実際マスクの効用がどれほどあるか知らないが、ボクはもうしばらくマスクと仲良くしたい、と思ってる。
  


Posted by はじめ at 07:02Comments(0)

2021年10月29日

季節の入れ替え  

朝夕の冷気に耐えきれず、先日タンスの衣替えをした。クローゼットには近頃とんと出番のない海外旅行用の大型トランクが6個も並んでいる。タンスから夏物衣料を取りだし大型トランクの中の冬物に入れ替えるのだ。この前、冬物と夏物を入れ替えたのは5月23日だった。五ヶ月ほどで夏冬の交代だ。入れ替えをしながら気がついた。タンスに入れても五ヶ月間一度も袖を通さなかったものが大半た。仙人生活なら上着も下着も2、3枚あれば日常生活は不自由なく回転していける。

ボクは思い出した。以前アムステルダムにロケした時、運河べりの小さなホテルの若いマネージャーにエキストラ出演を依頼し、翌日の撮影には自前のスーツを着てきて来てくれ、と頼んだ。すると彼が「スーツはこれ一着しか持ってない」と答えたのには驚いた。今は彼が羨ましい。彼のように生きたい。  


Posted by はじめ at 06:56Comments(0)

2021年10月22日

キケンな忘れ物  

(2020)年10月、ブリスベンからケアンズに向かうジェットスターのA320が、離陸直前にエンジン異常に気づき、急遽運航を取りやめた事件について、このほどオーストラリア運輸安全委員会が調査結果を発表した。
調査報告書によると、とんでもない事故がわかった。その日、A320は指定された滑走路にはいり離陸準備にはいったところ、機長はエンジンの異様な振動と異音に気づいた・おまけに機体が滑走路から右にそれて進む異常。機長は機体を止め、管制塔に飛行中止を告げ機体をゲートに引き戻した。点検の結果、右エンジンの燃焼区画から壊れたスクリュウドライバー(ねじ回し)の破片が発見された。事故当時客室にいたクルーは右エンジンが火を吹いている様子を目撃していたこともわかった。A320も離陸を強行すれば大事故につながったかもしれない。手術のとき患者の体内にピンセットやガーゼを忘れる医師があると聞く。このねじ回しも、どこで誰が忘れたのか知らないが、キケンな忘れ物だ。(情報はAviation Sefety Neetworkより)  


Posted by はじめ at 08:19Comments(0)

2021年10月15日

また墜ちた L−410ターボレット

たロシアで輸送機がスカイダイバーを乗せたまま墜落する事故があった。

故があったのは10月10日、場所はメンゼリンスク飛行場。飛行機は6月に事故ったものと同じL-410だった。20名のスカイダイバーを乗せて離陸した直後、パイロットから右エンジンの異常を告げる連絡があったが、そのまま機体は飛行場近くの空き地に墜落、乗客20名中の14名と乗員2名の死亡が確認された。6月の事故ではやはり17名のスカイダイバーが犠牲になっている。むかし、Widow Maker(未亡人づくり)という不名誉なあだ名をつけられた*ジェット戦闘機があったが、どうもL-410という飛行機はスカイダイバーと相性がよくないらしい。それとも細かな配慮が苦手なロシア人特有の人災なのか。(情報はAviation Safety Networkより) *ロッキードF-104スターファイター戦闘機  


Posted by はじめ at 06:33Comments(0)

2021年10月08日

機長だって苛酷な勤務もある  

年7月、乗客15名を乗せて着陸時にひっくり返ったシベリアライト航空のアントノフAn-28についてロシアの運輸安全局が一次調査結果を発表した。

問題のAn-28はケドロボ空港からトムスク空港へ向かっていたもので、エンジン不調のため緊急着陸を決行したものの着陸滑走中に機体が仰向けになり腹を空に向けて停止、幸い乗員乗客19名の命に別状なかった。しかし事故調査機関の報告書によると、その日、乗員たちは6時間の飛行時間を含む計18時間余りの連続勤務をしていた。会社の規定では一回の航空勤務の後は18時間の休息を取ることになっているが、この時は空港の宿舎で2時間の休息をしただけ。トムスク周辺は天候不良で凍結のため飛行機のエンジンが停止するほど危険な状況だった、という。パイロットの職場もきびしいんだな。

ころで、このアントノフAn-28という飛行機、1960年代に近距離路線用に開発された万能小型輸送機で、アエロフロートから大量注文ももらったまではいいけど、その後の仕上げに手間取り、完成まで15年もかかってしまった。アエロフロートから大量発注を取り消されたアントノフは、やむなく生産をポーランドに丸投げしてしまった。試作機では格納式だった車輪は固定式になり、機内にはエアコンも与圧装置もないというロシア風の太っ腹設計らしい。乗りたくないね。(情報はAviation Sefety Network,Virtual Aircraft Museumより)  


Posted by はじめ at 06:05Comments(0)

2021年10月01日

飛行機だって大雨に弱いんだ

常気象の影響か、各地で大雨の被害が出た。近頃は車が雨で動かなくなったり流されたりするが、飛行機だって雨に負けることがあるようだ。

2019年5月の話、マイアミのジャクソンビル海軍基地に1機のボーイング737-800が着陸しようとしていた。この飛行機はアメリカ国防省がチャーターしたものでキューバのグアンタナモ基地からの乗員乗客143名を乗せていた。折からマイアミ周辺は猛烈な雨。10番滑走路に着地した同機は水しぶきをあげて進んだあげく、滑走路をオーバーランして隣接するセントジョン川の川辺に突っ込んで止まった。乗客の命に別状なかったが負傷者が数名発生した様子。さらに貨物室にいた動物(種類と数は発表ない)のいくつかが死亡した模様。

故調査委員会は長時間かけて原因の調査をした結果、操縦士の着陸速度が基準より高かったことや、ブレーキ操作の遅れなどが挙げられるが、最大の原因は当時の豪雨で滑走路の路面状態が水上飛行機の着水場並だったことにある、と結論づけた。つまり高速道路のハイドロプレーニング状態だったんだね。大雨の日には飛行機に乗らないようにしよーっと。(情報はAviation Safety Networkより)  


Posted by はじめ at 07:23Comments(0)

2021年09月24日

機長席の背もたれがペタン!  

急列車のヘッドマークが鉄道ファンの宝物なら、旅客機の操縦輪や操縦席の椅子は旅客機ファンの宝物だ。エアラインが引退した飛行機の装備品を放出販売すると、機長の椅子は常に高額で人気が高い。見たところ座りにくそうな椅子だけどねえ。その機長椅子の背もたれが離陸滑走中にバタッとリクライニングして操縦室がパニックになる事件があった。

件が起きたのは2018年10月のこと。エア・インディア・エクスプレスのボーイング737-800。インドのチルチラッパリ空港からドバイに向かう定期路線の611便だった。01;18管制塔から離陸許可を得た同機は指定された27番滑走路に入り滑走を始め、速度が117ノットに達したときだった。突然機長椅子の背もたれが後ろに倒れ、仰向けになった機長の手から操縦輪とスロットルレバーが離れてしまった。この時のコックピット内のパニックぶりは想像して余りある。

日の事故報告書には、機長が背もたれを直し、シートベルトを締め直して副操縦士から操縦を取り戻すまで約5秒間、とあるが事実はヤブのなかだ。二人がパニくっているうちにエンジン出力が98%から77%に低下していた。それでも速度は144ノットに達していが、このままでは滑走距離は2000フィートほど足りない、と判断した機長は加速して操縦輪を力いっぱいひき強引に離陸させた。機体は10.7度の角度で上昇し空に浮いた。しかし機体の尻尾が空港設備の電波発信アンテナを倒し、左右の車輪が空港境界のレンガ塀を引っ掛けて壊してしまった。

運の611便はドバイに向けて順調に飛行していたが、事態を重くみた管制塔はムンバイに緊急着陸して機体の検査をするように指示をした。611便はその指示に従い4時間後ムンバイに無事着陸した。航空保安局の「背もたれバタン事件」の調査が始まったのはそれからだった。(情報はAviation Safety Networkより)






  


Posted by はじめ at 06:42Comments(0)

2021年09月17日

曲芸飛行中に墜落  

までも航空ショーの呼び物のひとつに、翼の上に人を立たせる曲芸飛行がある。使われる飛行機はもっぱら鈍速の複葉機で、演じるのはたいてい若い女性なんだけど、主役は翼の上に立つ彼女か、それとも操縦士なのかわからない。

9月4日土曜日、イギリスはボーンマスで恒例の航空フェスティバルが開かれた。(飛行機好きの多いあの国では年中あちこちで航空ショーがある)午後3時半過ぎ、呼び物の空中曲芸飛行が始まった。エアロスーパーバチックを名乗る銀色のボーイング A75N1 ステアマンが主翼の上に女性を立たせて、発煙管から白い煙を派手に噴き出しながら会場の上空に飛来した。ところが飛行機は大勢が見上げる会場を離れ、南西にあるウエストボーンの海辺まで低空飛行して海面に不時着した。機体はほとんど壊れないまま波で裏返しになったが、乗っていた二人は漕ぎ寄せたボートに救助され救急車で病院に搬送された。幸い二人とも軽傷で命に別状はない、とのこと。よかったな。

テアマンは1934年にアメリカ空軍の初級練習機としてデビュー以来、ノースアメリカンT-6テキサンにバトンタッチしたあとも使われたビンテージ飛行機。映画「トラトラトラ」の冒頭、オアフ島の空をのんびり飛んでいるステアマンが、日本海軍攻撃隊の大編隊にまぎれ込み、あわてて逃げるシーンが印象的だった。それにしてもまだまだ飛んでるんだね。  


Posted by はじめ at 07:57Comments(0)

2021年09月10日

ビンテージ バイク 


ンドンの都心から地下鉄で2、30分も行ったところにRAF(イギリス王立空軍)博物館がある。展示物は第一次大戦前から戦後冷戦期を経て現代に至る軍用機で、建物が少々狭いことと照明が暗いことを除けばヒコーキ好きにはたまらない空間だ。(しかも入場無料)ボクのお気に入りはグラハム・ホワイト・ファクトリーと名付けられた展示館だ。そこには飛行機揺籃期から第一次大戦前後に飛んだ複葉機たちが静かに翼を休めている。

の一角でこのオートバイを見つけた。1900年代の製造だろうか、チェーンもスプロケットもピカピカに手入れされているし、革のサドルもツヤツヤだ。300cc位のエンジンはキックペダルを踏めば一発で始動しそうだ。古いものを捨てない人のおかげで百年前の実物を見ることができる。

イクはもう一台あった。似ているが手を加えてあるようにも見える。これらのバイクの素性はわからない。きっと基地の待機所前にでも駐輪してあり、敵空襲のサイレンが鳴ると、待機所を飛び出した戦闘機乗りがこれにまたがって草の滑走路を疾走、彼方にとめてあるS.E.5戦闘機やキャメル戦闘機などの愛機に駆けつけ、操縦席にとび乗って出撃したんだろう。そんな光景を空想しながらボクはカメラのシャッターをおした。先日バイクの思い出話を書いて、ふとこのバイクを思い出したので。
  


Posted by はじめ at 07:03Comments(0)

2021年09月03日

Il-112 白昼の墜落炎上  

月17日昼前、ロシアのクビンスカ空軍基地近くで中型輸送機が墜落した。

落したのは双発ターボプロップの中型輸送機イリューシンIl-112V。An-26輸送機の後継として設計製作さ、2019年3月に初飛行をしたが、それからもう長いこと試験を繰り返している。An-26よりも強力なエンジンをのせ、6枚プロペラを装備しているが積載量や速度、航続距離などはAn-26を大きく上回るほどでない。搭乗員は6名から2名に減少できた。この日、同機はテストのためクビンスカ基地を離陸して4分後に異常が発生した。ネットに流れた目撃者の動画をみると、IL-112Vは高度150mほどの低空を第二エンジン(右翼)から火を出しながら飛んでいたが、左翼を天に向けて大きく傾いた直後、そのまま木立の中に突っ込み黒煙を噴き上げた。乗っていた3名の乗員は絶望的だ。(情報はAviation Safety Networkより)  


Posted by はじめ at 07:59Comments(0)

2021年08月27日

トロージャンの連続事故  

ースアメリカンT-28トロージャンはボクがちょっと好きなヒコーキにだ。そのT-28が立て続けに事故った、というニュース。初飛行は1949年だからもう古典機の仲間だね。とっくの昔に現役引退したのに、こいつ、まだ飛んでいた。

T-28トロージャンはノースアメリカンT-6テキサンの後継機だ。T-6テキサンはアメリカ以外イギリス連邦でもハーバートの名で大いに使われた練習機。一方、T-28トロージャンは戦後のデビューだからテキサンよりだいぶあか抜けた容姿だ。特にキャノピーは大型の一体成形だったし、アメリカでは初の折りたたみ式前輪をもつ練習機だった。エンジンもつましく500馬力程度だったT-6テキサンより強力な800馬力級のエンジンを載せていたし、海軍仕様のB型は空母離着艦を配慮して補強した機体に、第二次大戦中の戦闘機並みで1,400馬力級のエンジンを乗せていた。また空軍仕様のD型も50口径機銃2丁のほかに小型爆弾やロケット弾を装備でき、強力なエンジンを載せていた。製作数は合計17,000機も作られたT-6に比べT-28は各型合わせて2,000機ほどだった。

置きが長くなった。8月9日午後3時過ぎ、フランス北東部のアグノーの飛行場に1機のT-28トロージャンが緊急着陸した。飛行中に折りたたんだ車輪が正常に出ないことに気づいたパイロットがとっさの判断で胴体着陸をした。結果、トロージャンは胴体着陸に成功、機体の一部は壊れたがパイロットは無事に生還した。この事故から三日後、今度はユグノーから地球の裏にあたるアメリカ・ワシントン州の辺境ピュアラップ飛行場でもT-28トロージャンが車輪の故障で胴体着陸した。こちらでもパイロットは無事!どちらのT-28もB型だった。どうやらT-28トロージャンは折りたたみ式降着装置に弱点があるのかな。(情報はAviation Sefety Network,Francetbinfoより)

  


Posted by はじめ at 06:48Comments(0)

2021年08月20日

ロシアの消防飛行艇 墜落  

球の各地で異常気候が頻発している。山火事もそのひとつだ。8月14日トルコ南部で山火事の消火活動をしていた消防飛行艇が墜落した。

故を起こしたのはロシアのベリエフ Be-200 。もともと飛行艇や対潜哨戒機のメーカーだったベリエフが冷戦後は水陸両用機能を生かした消防用飛行艇を作るようになった。Be-200は湖に着水して12トンの水を吸い込んで山火事現場の上空に運ぶ特殊機能があった。同機はトルコの求めで7月から応援にきていた3機のBe-200の1機だった。今回は五人のロシア人要員と三人のトルコ人計八人が乗って飛び立ったが、何かの事故で墜落し乗員全員が死亡する痛ましい事故になった。トルコのカヴソギル外相は「彼らの英雄的行為は永遠に記憶される」と弔意を述べた。(情報はTurkey News,Aviation Safety Networkより)
  


Posted by はじめ at 06:36Comments(0)

2021年08月13日

思い出バイク話 DJEBEL200 で終章 

歳をとると以前出来たことが次第に出来なくなってくる。あれこれ忙しくなったボクがバイクに乗るのは月に一度ほどになってきた。それもほとんどが「街乗り」だ。ある日、XLRよりもラクなバイクが欲しくなった。人間はラクを考えた時からダラクが始まる。

ボクは突然SUZUKIのDJEBEL 200に乗り換えた。後日考えるとなぜそのバイクを選んだのかはっきりしない。ただセルモーターがついていることに惹かれた。それでも山中での故障を考えて後付けてキックペダルを組み込もうとしたが不可能だと拒まれた。そのことを除けばDJEBELは手頃で扱いやすいラクチン・バイクだった。ボクはふたたびバイクで遠出をするようになり、DJEBELで伊豆の峠道を日帰りでまわったり、信州の入笠山・分杭峠・大鹿村・シラビソ高原・兵越峠、水窪を巡る二泊ツーリングをするようになった。


トラブルlは或る日とつぜんやってきた。この話は以前にも詳しく書いてので省略するけど、ボクは天龍川沿いに下るつづら折りの林道でモロに転倒した。左足首がDJEBELの下敷きになり足の骨を折った。これまで何回も転倒していたから、苦笑いしながら起きようとしたら立てない。痛みよりも無感覚になった片脚に動揺した。つま先でチェンジレバーを操作できないのだ。通りかかる車も人もない。とそのとき1台のバイクがやってきて止まった。そのカワサキのロードバイクに乗った守護天使は瞬時に状況を理解し、ボクを後に乗せて天龍の病院まで運んでくれた。彼のおかげでボクは足の機能を回復できた。この事故でボクはいろいろ反省した。その後しばらくしてDJEBELを手放した。いまでも愛しのバイクで高原や林道を走りまわる夢をみる。楽しかったなあ。


  


Posted by はじめ at 06:31Comments(0)

2021年08月06日

思い出バイク話 XLR250Rの章  

気むずかしい赤バイク XLX250に乗った2年間はあっという間に過ぎて、ボクはもう少し素直なバイクに乗りたくなった。それで次に選んだのが同じHONDAのXLR250R(ホントに紛らわしい車名)、早い話がXLX250Rの改良版だ。

いっそYAMAHAのXT250に宗旨変えも考えたが、ボクもそろそろ安定を望む年齢になっていたらしい。慣れ親しんだHONDAを選んだ。ただ車体色だけは赤色をやめて黒を選んだ。それでもシートやゼッケン板などは赤色で、さしずめクロスカブのクマモン・バージョンみたいな色調。キック始動は変わらなかったが、デコンプ(キックペダルの跳ね返り防止装置)が使えたので足裏への逆襲もなくなった。


XLR250Rとの相性は悪くなかった。なにしろ一人旅だ。行き先の選択も変更も、走るも止まるも自分ひとりの決断で決められる。ボクはこの無愛想な黒バイクにテントを積んで浅間高原・奥志賀スーパー林道や入笠山・伊那谷・秋葉街道を組み合わせて二泊三日ツーリングを楽しんだ。(思い出バイク話、もう一回だけ続けます)
  


Posted by はじめ at 05:41Comments(0)

2021年07月30日

思い出バイク話 XLX250Rの章

回は大飯喰らいのYAMAHA DT125が山の上でガス欠寸前になった話を書いた。不経済なDTだったが憎めないヤツで、ボクはこのDTと一緒に伊豆や信州の峠道を越え、奈良井宿や上松の民宿に泊まった。照明のない真っ暗な赤石トンネルでは6ボルトの暗い前照灯に泣かされたのも思い出だ。

の年の11月初旬、親しいバイク店の社長が新しいバイクを届けにきた。それがHONDA XLX250Rだった。真っ赤なバイクをみて注文したボクが恥ずかしくなった。生まれてこのかた洋服も靴もカバンでも、こんな赤い色を身につけたことはないというのに、こいつは赤いボディにネービーブルーのタンデムシート、角形ランプに黄色のゼッケンという金剛インコみたいな色使いだった。当時、バイク競技の世界ではホンダは赤色、ヤマハは白、スズキが黄色でカワサキがライトグリーンという住み分けがあった。それまでヤマハ党だったボクも宗旨変えをしたからには仕方ない。しばらく赤に乗ることにした。


の週末、さっそく試し乗りで富士山と五胡をひと回りした。エンジンはDTの18馬力に対して26馬力なのに、燃料タンクはDT並みの10ℓしかない。その日220km走ってみたら燃費は31km/ℓでDT125と大差ない。これからガス欠を気にしないでガンガン走れるぞ、と喜んだ。それから行動半径は広がった。XLXとは兵越峠、月夜沢峠、権兵衛峠、分杭峠など信州各地へ、伊豆は風早峠、諸坪峠などが馴染みになれた。



かし或るとき雨の和田峠越えで突然エンジンが停止するトラブルに見舞われた。その時は仕方なく上諏訪にバイクを残して帰宅し、後日軽トラックで引き取りに行った。それ以降、XLXは原因不明のぜんそく病みたいな持病にとりつかれた。XLXの始動はキックペダル専用だった。これがまたしばしば強烈なキックバック(跳ね返り)を起こし、足の裏に分厚い靴底を突き抜ける激痛をもらった。それでもボクはこの気むずかしい赤バイクと二年ほど付き合った。








  


Posted by はじめ at 06:21Comments(0)

2021年07月23日

思い出バイク話 DT125の章  

夕、国道沿いに散歩していると疾走するバイクの群れを見かける。この季節、雨さえ気をつければ心地よいツーリングの季節だ。見ていて昔を思いだした。で、今回は老人の昔話を一席。トランザルプやテネレに乗れなかったささやかなツアーの思い出だけど、御用とお急ぎでなければ読んでおくれなさい。


代の終わり頃、自転車からスーパーカブに乗りかえたとき、(こりゃなんて便利な道具だ)と驚いた。その後(高度経済成長)に乗っかって仕事に追われ二輪から四輪に乗り換え、ひたすらバブル街道を邁進してしまった。それが「ちょっと待てよ」と立ち止まったのが50代、息抜きのため休日の気晴らしに買ったトレールバイクがYAMAHAのDT125だった。DTを選んだ理由は、少年時代の低山歩きを短時間で再現するためだった。液冷2サイクルエンジンは18馬力、軽くて小柄なDTは久しぶりに乗るバイクとして最適だった。登坂路でもアクセルを開けば瞬時に電動モーターみたいに回転が上がった。その代り大飯食らいで4サイクル250ccなみに燃料を消費するので,絶えず燃料タンクの残量に気を使わないといけない。それでもあるとき冷や汗をかいた。

れはちょうど今頃と同じ、六月の半ば、梅雨の切れめの土曜日だった。早朝6時に静岡を発ち52号線から早川沿いに北上し10時半頃には奈良田に着いた。ここから以前閉鎖で進入できなかった丸山林道に向かう。幸い今日はバーが開いてたの小躍りして林道に入った。しばらく走ったところで対向バイクと出あった。沼津ナンバーのXT250だった。対向車が来たことは林道に支障がないことだ、と勝手に判断して元気づいた。林道は軽自動車の幅でバイクの走行には問題ないが山水の影響か木の根の露出や路面の凹凸がハンパじゃない。

ンジンをワンワン言わせ、林道を力まかせに走ってたら、前輪が根っこに挟まってコケてしまった。幸いボクもバイクにも怪我はない。停まったエンジンを始動したが、すぐ停まってしまった。何度か再始動に挑戦するうちに気がついた。車体を揺すると「ポチャン、ポチャン」と音がした。ガス欠だった。急いで予備タンクへの切り替えをしたらエンジンが生き返った。だけど林道はまだ下り道ではない。この先、予備タンクの1リットルで町のガソリンスタンドまで走れるだろうか?それからの山くだりはハラハラドキドキだった。

いうわけで昼飯も休憩もとらず一気に山を駆けくだり、なんとか国道沿いのガソリンスタンドにたどり着いた。補給量は8.7リッター。タンク残量は300c.c.。ほとんどカラだった。そのあと富士川の河原で遅い昼飯を食べたのだが、握り飯を掴めないほど指が緊張でこわばっていた。ボクはDT125の軽快性と走りっぷりに惚れ込みながら、燃費の悪さに閉口した。でも大蜀漢のDTいテントを積みたびたび伊豆や信州へ出かけてたいい思い出がある、という昔話の一席でした。




  


Posted by はじめ at 06:06Comments(0)

2021年07月16日

「絶滅危惧種」がまた1機消えた   

ロンビアでまたDC-3型(別名ダコタ)が1機墜落した。

7月8日朝、ビラビセンチオ・ラ・バングアル空港を飛び立ったアリアンサ航空のDC-3型輸送機が消息をたった。同機は通常の練習飛行のため3名の乗員が乗っていたが、その後、山岳地帯で墜落している機体が見つかり、乗員全員の死亡が確認された。アビアンサ航空は古いDC-3ばかり4機を所有するコロンビアの小規模エアライン。今年の3月に1機が墜落事故を起こし、今回の事故でアリアンサに残るDC-3は2機となってしまった。(情報はAviation Safety Networkより)  


Posted by はじめ at 07:44Comments(0)

2021年07月09日

今度こそ超音速旅行の序章  

週はユナイテッド航空が超音速旅客機を15機発注した、というニュースが駆け巡った。

道によるとユナイテッドはブーム・テクノロジー社の超音速旅客機オーバーチュアを15機、プラス仮発注35機計50機の契約を結んだ。沈滞している航空業界を大いに元気づけたオーバーチュアって一体どんな飛行機だろう。

観と寸法はコンコルドとそっくりだが、4発エンジンのコンコルドに対しオーバーチュアは3発になる。乗客定員はコンコルド108〜128に対してオーバーチュアは65〜88席(乗員はパイロット2名、CA4名)という半分近いものになる。半世紀前に登場したコンコルドの弱点は騒音と運航経費の増大だった。乗客は音速で飛ぶことと引き換えに狭い座席や小さな窓(絵葉書か新書版ほどの広さしかなかった)に我慢したのだ。完成予想図で見るかぎりオーバーチェアは単通路の両側に1席の座席配置で全席窓側だ。おまけに窓は円形でクルーズ船並みにデカイ。だからビジネスクラス+アルファの航空運賃になるのもうなずける。トイレもJALならきっとウオッシュレット仕様になるだろう。燃料がクリーン排気の持続可能型燃料である点も見逃せない。

ーバーチュアは本番前に技術実証機XB-1の製作に着手して試験飛行をする。本機の完成は2025年で試験飛行を続け、2026年にユナイテッド航空に引き渡される。マッハ1.7で飛ぶからニューアーク・ロンドン間は3時間半で結ばれる。成田・サンフランシスコ間は6時間、成田・シアトル間は4時間半が予定される。全部で16機だけで終わったコンコルドに対してオーバーチュアはすでに100機を越える注文を得た。20機発注したJALや10機発注のヴァージン航空に出資までさせたブーム社の営業企画力をMRJで頓挫した三菱航空はなんとみるだろう。(情報はAviation Wireからタダユキ・ヨシカワ氏の解説にもとずいた)


  


Posted by はじめ at 07:56Comments(0)

2021年07月02日

スカイダイブのセスナが事故  

日ロシアでスカイダイバーら19人を乗せた小型機の墜落事故があったが、こんどはオランダで同じような事故があった。

6月28日、オランダのテウへ飛行場を離陸したセスナ208Bスーパーバン900が、17名のスカイダイバーを乗せて離陸した直後にエンジンが故障した。パイロットはすぐさま飛行場に引き返す操作をしたが、滑走路には届かず、隣接する道路脇の草原に強行着陸した。写真で見ると前輪がもげ取れ、主翼の一部が破損したが胴体は原型を保っている。幸い乗っていた18名は命に別状ない模様。よかった、よかった。スーパーバン900はセスナの単発機で一番大型の飛行機だ。世界中で観光や輸送用ばかりでなく軍用でも使われている。(情報はAviation Safety Networkより)

  


Posted by はじめ at 08:02Comments(0)

2021年06月25日

L-410ターボレットの墜落  

6月16日昼前、アフリカのコンゴで小型双発ターボプロップ輸送機が墜落事故を起こした。


故を起こしたのはLET L-410UVP-Eターボレットで、ブカブ・カブム空港を離陸した直後に墜落し乗っていた3名の乗員が死亡した。あまり聞いたことのない飛行機だなと思ってたら、その三日後の19日に、今度はロシアでまた同じL-410UVP-Eターボレットが墜落した。こちらはスカイダイビング・クラブにチャーターされていたもので、この日4回目の降下者を乗せて離陸した直後のエンジン故障だった。乗員2名のほか17名のスカイダイバーが乗っていたが、007でもない普通の人間だ。とっさの墜落では落下傘が役に立つはずも無い。合計19名が死亡する大事故になった。
のL-410という飛行機はチェコ製で1969年代に初飛行をした。原型機は3枚プロペラで機内が我慢できないほどの振動をしたそうだ。4枚ペラに交換したのを手始めに数々の改善を重ね1970年代から量産を始めた。DC-3よりひとまわり小さな機体に最大19名の乗客が乗れる便利さもあり、チェコをはじめブルガリア、ハンガリー、ポーランド、旧東ドイツなど旧ソ連圏の国々に買われた。合計1,000機ほど製造されたが、すでに生産は終わっている。老いてなお働けど、また働けど勲は遠かりし(なんだこりゃ?)

  


Posted by はじめ at 07:26Comments(0)

2021年06月18日

もうタダでは読めない機内誌  

行機に乗る楽しみのひとつに機内誌があった。JALのSKYWARD、ANAの「翼の王国」など各社とも工夫をこらしお金をかけた結果、BRUTUSや芸術新潮などに匹敵する体裁に充実し、無料でもらっては申し訳ないな、と思わせる立派なマガジンになった。

ころで2019年の秋以来、飛行機に乗ってないボクは知らなかった。全日空は今年の3月で620号も続いた機内誌「翼の王国」の無料配布をやめた、という。前後してJALもSKYWARDを全面改革した。最近の乗客の好みと習慣は変化し、各自好みのデバイスを持ち込み、音楽でも映画でも読み物でも自己調達するから機内誌の出番が少なくなった。それでANAは「翼の王国」の判型をB5判に小さくして紙版と電子版にわけ有料で販売することにした。また希望する乗客には紙のコンパクト版を無料配布するという。

JALもSKYWARDの国内向け紙版(¥522/1部)と海外向け紙版(¥1289/1部)(電子版は¥795)を用意して読者の希望に応える。(お金を払って持ち帰る人がどれほどあるか知らないが)ANAでは「機内誌を無くすことにより年間1540トンの重量が消え運航コストと環境に貢献できます」と言うが、機内誌ファンだったボクにはいささか負け惜しみっぽく聞こえる。機内誌が消えれば免税品機内販売カタログも消えるかな。コロナ禍がもたらす変化は予想外の広がりを見せてきた。  


Posted by はじめ at 06:05Comments(0)

2021年06月11日

出た!ワクチン接種ツアー  

本中でワクチン接種競争が続いている。予約センターに電話を100回かけてもつながらない、と憤慨する人も多い。ワクチンの量は充分あるから、そんなに焦らずお待ちください、とおカミは言うけど人情としては心おだやかに待ってられない。タイミングよろしく「ワクチン接種の米国ツアーはいかが」というメールが届いた。

信者は旅行代理業のエアトリだ。内容はニューヨーク(またはロサンゼルスかラスベガス)に三日間滞在し、その間にJ&Jのワクチンを1回接種するというもの。料金は空港ーホテルー接種会場ーホテルー空港で、送迎車に日本語ガイドが同行する。(接種後は接種記録カードが発行されるがこれは現在アメリカ国内でのみ有効)日本再入国時に必要なコロナ陰性証明証は米国滞在中に取得する。料金はNYの場合ホテル3泊分を含み1人37万円(2名1室分の内訳はほとんどホテル代と世話代。LAなら少し安くなる)これには航空運賃と食費は含まれない。

国時に必要な陰性証明はNYで取得してくれるが、日本を発つ際に必要なコロナ陰性照明は自分で取得する必要があり、再入国後の自主隔離も自分で手配しなければならない。(入国から三日間の宿泊費と食費は厚労省が負担するが、4〜14日目までは自主負担になる)外国でプチ整形手術を受けるよりも面倒な手続きは多いし費用も安くないけど、それでも予約センターで無料接種の順番待ちはイヤだ、という人はどうですか?  


Posted by はじめ at 05:17Comments(0)

2021年06月04日

ミラージュ 墜落 

5月24日(日)の午後2時過ぎ、ラスベガスのネリス米空軍基地近くの住宅地で墜落事故があった。

落して炎上したのは元フランス空軍のジェット戦闘機ミラージュF1Mだった。ミラージュF1Mは1980年代に起きたフォークランド紛争でイギリスと戦ったアルゼンチン空軍の花形戦闘機ミラージュIIIの後継機。事故機は元スペイン空軍が使っていたもので、払い下げを受けた民間企業ドラ-ケン国際企業(Draken International LLC)がアメリカ空軍の戦闘機パイロット養成プログラムで「敵性機」(つまり敵の戦闘機役)として参加していたものらしい。今回の事故はネリス基地から離陸して上昇飛行の過程で何か予期せぬ問題が発生したと思われる。機体は住宅地に墜落炎上、操縦士は死亡した。詳しい事故原因は調査中だ。(情報はAviation Safety Networkより)  


Posted by はじめ at 06:25Comments(0)

2021年05月28日

2019年度のベスト・エアライン  

ギリスに拠点を置く航空リサーチサービス会社のAIRTRAX
恒例の2019年度ベスト20エアラインを公開した。


NO. 1 カタール航空
NO. 2 シンガポール航空
NO. 3 ANA 全日空
NO. 4 キャセイ航空
NO. 5 エミレーツ航空
NO. 6 エヴァ航空
NO. 7 海南航空
NO. 8 カンタス航空
NO. 9 ルフトハンザ航空
NO.10 タイ航空


下20位までは相撲で言えば幕下かな。
NO.11 JAL 日本航空
NO.12 ガルーダ航空
NO.13 スイス航空
NO.14 中国南方航空
NO.15 オーストリア航空
NO.16 ニュージーランド航空
NO.17 バンコック航空
NO.18 KLM オランダ航空
NO,19 BA 英国航空
NO.20 エアアジア
覧のようにアメリカのエアラインは20位までにも見当たらない。
しかしコロナ禍の今はベストスリーに入った会社でも大赤字で大変だ。
大韓航空とアシアナ航空はどうしたんだろ?   


Posted by はじめ at 06:34Comments(0)